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Q&A

ここでは、PSGのウェブサイトやSNSへ寄せられた質問や、ワークショップ中で受けた質問と

​それらに対するお答えを紹介します。

よくある質問とその答え
(PSGメンバーの一部がお答えします!)

​Q: 高校での理科の選択科目はどのように決めましたか。

G: テストでの点の取りやすさは無視し(大学でもそうでしたが)、純粋に自分が深く学びたいものとして物理と化学を取りました。経済学部にすでに志望を絞っていましたが、興味のある科目は勉強する意欲がわきました。


Y:  理系の学生は物理・化学の選択が一般的でしたが、私は生物に関心があったので生物・化学にしました。好きなものを選ぶのがいいと思います。


K: 高校の頃は、生物を暗記科目だと思っていて、あまり好きではありませんでした。地学などを教えられる先生がいなかったので、自動的に物理と化学になりました。物理は全然できなかったですが、物理の先生の学問に対する姿勢が真摯で、尊敬していました。


M:  文系だったこともあり科目選択の時にはどの科目のこともよくわかっていませんでした。とりあえず得意な暗記がいかせる生物にしました。学び始めてから面白さに気づき、授業を越えた内容も勉強しました。結局共通テスト(センター試験)で一番高得点をとれたのは生物でした。

 


​Q: 研究者になるにあたり、学部や研究する分野はいつどのように決めましたか。(私は今興味を持っていることが主に2つあり、決められません。)

Y: 医療に関係する職種を選びたいという意識は小学生のころからあったと思います。医師になることを高3の夏まで考えていましたが、知り合いの先生ががんで亡くなり、治癒の見込みのなくなった患者さんを誰がどのように支えるのだろうと考え始めて、看護学に興味がわき、看護学が勉強できる東大へ進学しました。東大は研究者志向の同級生が多かったので、そこからはあまりぶれずにここまで来ています。


G: 私も高校では物理と経済学という2つのものに興味がありました。研究者が視野に入ってきたのは、大学2年生でミクロ経済学にはまったときです。ですから、順序としては、興味から学部を選び、学部の勉強の中で一つの分野にものすごく興味が出てしまったので、研究者になるのもアリかな、と考えたという順番でした。興味をもって幅広く勉強したことは、その後思わぬときに役に立ったりするので、最初から狭めなくても、できる限り広く深く進んでいけたらベストではないかと思います。


M: 中学生の時に本で読んだゲーム理論に影響を受け、ずっと経済学を学びたいと考えていました。ただし、大学に入った後は、いったん経済学を離れて様々な分野の最先端にふれる機会にもめぐまれました。例えば、法学に関心をもってアメリカの裁判所でインターンをしたり、都市工学にも興味をもってフィールドワークに参加させてもらったりしました。いろいろ見た結果、ゲーム理論こそ自分のやりたいことだと再認識し、その後はゲーム理論の研究に専念しています。また、大学2年生のころから海外で仕事をしたいと思い始めました。経済学者の場合はアメリカで認められると様々な国で働く可能性がひらけます。そうした自由な働き方にも憧れて研究者になろうと決めました。


K: 私も高校生の頃はやりたいことがたくさんあって決められませんでした(当時は外交官、児童文学の翻訳家、研究者などなりたい職業がたくさんありました)。仕方がないので専門を入学後に決められる東大に進学し、「前期教養学部」でとにかく興味のある授業を片っ端から聴講しました。本音を言うと、源氏物語講読の授業と日本美術史の授業が一番面白かったのですが、大学でしか(設備の関係で)できないことにもチャレンジしようと思い、生命科学分野の授業を担当している教授の研究室に見学に行ってみました。その研究室で実際に研究生として研究活動も行い、思いがけずはまってしまいました。結局、大学2年の時に、その時点で一番自分に合うと思った分子生物学を選び、今に至ります。今後、これまで学んだことを生かして違う研究分野に移ることも考えています。必ずしも早く1つに決めなければならないというわけではないと思います。

 


​Q: 視野を広げるのにおすすめの活動などありましたら教えていただきたいです!

G: 図書館でいろいろな棚を歩き回り、ちょっとでもおもしろそうと思った本を読みまくることです。また、仲間を作って一緒に勉強すると、違う視点をもらえるし、くじけにくいのでおすすめです。
 

Y: 図書館は終末期ケアの研究の本に出会ったりしていろいろな意味で刺激の宝庫でした。中学生まではガールスカウト活動をやっていて、世界に目を拡げるきっかけになりました。
 

K: 海外文学を読んだり、世界史・日本史を勉強したりしながら、出来事を自分に置き換えて考えてみることです。自分ならどうするだろうかと考えたり、先人たちが困難をどう乗り越えてきたのか注意したりするだけでも視野が広がると思います。

あとは、英単語の由来など小さなことであっても、少しでも気になったことは放置せず、とりあえず調べてみるといいと思います。
 

M: 高校生から大学2年生ころまでは色々な専門雑誌を紙やオンラインで読んでいました。特に愛読していたナショナルジオグラフィックは歴史、国際政治といった社会的な問題から宇宙や生物学といった自然科学的な問題まで幅広く深堀して紹介していました。SNSなどと違って専門雑誌はクオリティーも高く信頼できる情報源として非常に有効でした。入試科目に役立つかどうかに関係なく、自分の興味のある事については何でもとことん正確な情報を集めると、結局視野を広げることにつながるのではないかと思います。

 


​Q: 将来の夢にはびびっとくるものがあるのでしょうか?

Y: 興味がわくものをいろいろと探索してきた結果ではないかと思います。自分を刺激してくれそうないろいろな活動に参加してみるといいと思います。


G: 職業という意味なら全然なかったです。楽しいことをどんどん深めていったら、研究者で勝負してみようかなという気になりました。ですが、経済学部を志望するに当たっては、スラム街を見た衝撃は心に残っていたと思います。


M: 研究そのものは好きで、これこそやりたいものだという自信があります。しかし、仕事という意味では消去法で選びました。仕事を選ぶ際には「好きな辛いこと」を選ぶことが重要だと思っています。つまり、どんな仕事もそれぞれ異なる辛さがあります。例えばですが、研究者の仕事として辛い部分と企業で働くホワイトカラーの辛い部分は異なります。そしてその仕事の一番辛いところに耐えられなければ続けられません。私は色々な仕事の一番辛い部分を比較した結果一番好きな「辛い部分」を選んで研究者になろうと思いました。


K: ありきたりですが、小学校の時にマリー・キュリーや野口英世の伝記を読んで、かっこいいなあと憧れていました。憧れに近づけるよう努力し、自分の心の動く方に歩いていたら、いつの間にか現在の場所に来ていました。

​Q: 留学先/進学先を選ぶときは何を基準にどのようにして決めましたか?


M:  私は地方出身ですが、高校生の頃から海外で働くことに関心があり、そのための足がかりとして東京への大学進学を選びました。アメリカ留学を真剣に考えたのは大学 2 年生の頃でした。最初は日本の大学を卒業後、アメリカで弁護士になってアメリカで働くことを検討していました。10 年ほど前の情報なので現在は違うかもしれませんが、アメリカで現地採用してもらえる弁護士になるためには法科大学院に似た Law School と呼ばれる専門コースを 3 年間アメリカで終えた後、現地の弁護士試験に受かる必要があるといわれていました。ところが Law School に留学する人に向けた奨学金はほとんどなく、アメリカ人ですら多額の学生ローンを負債として抱えながら通い、卒業後には何年も返済に苦労するとわかりました。これは Law School が研究機関というよりも職業訓練場所としてみなされているためだと聞きました。以上のことがキャンパスビ
ジットなどをして情報を収集した結果わかったので、アメリカで弁護士になる道は楽しくなさそうだと思いやめました。
とはいえ、アメリカ(ないし海外)で働きたい、世界で活躍するためにはなんらかの分野で一流にならなければいけない、などと考えた結果、研究職でアメリカに留学する道を選びました。研究職で留学する場合は、競争は激しいものの、日本国内からの奨学金があるだけでなく、留学先の大学院から学費免除&生活費の支給も受けられるというのが大きなメリットです。さらにアメリカで博士号を取得すれば世界中の大学
や会社で就職できる道も開けます。研究職にもいろいろありますが、経済学については中学生のころから関心があり、大学の卒業論文も執筆していて楽しかったので、続けたいと思う事ができました。現在所属しているノースウェスタン大学は、望み通り学費免除と生活費の支援が合格時に確約され、私が専門に学びたいと思っていた分野の研究者の数も非常に多かったことが決め手となりました(アメリカでは研究者の大学間の移動が多く、専門分野の先生が少ない大学だと留学後に専門家がいなくなって研究できなくなるリスクがあります)。残念ながら生活環境については冬季零下 20 度にもなる極寒の地となりましたが屋内での研究に向いたよい環境だと思っています。
まとめると、金銭面、将来の就職の可能性、自分の興味関心、これらを総合した結果アメリカで経済学の博士号をとるという道に至ったと思います。

 

O: エール大学を選んだのは、村上さんと同じく、(1)学びたい分野が強く(2)フルファンディング(学費免除、在学中ずっと奨学金あり)が確約されていたからです。
エール大学は治安の悪い街にあるため、行動が制約されていました(日が落ちた後は、女性が一人で歩くのは危険、など)が、幸い私自身が危ない目にあったことはありません。こじんまりとした大学街で、博士課程を送るには良い環境だったと思います。


​Q: 女性の研究者、さらにいうと女性の大学進学者が少ない中で、苦労したことなどがあったら教えて欲しいです。

Y: 女性だからよけいな苦労したと感じことはあります。一方で、女性だから得をしたと感じたこともあります。でも、人より得をしたのか損をしたのか、本当のところは誰にもわからないし、その多い少ないを考えても仕方ないので、±0と思うことにしています。

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